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■電話とメールに明け暮れる。原稿のネタつくりも続行。交渉事は来週に山がくることになった。
■内にこもりがちだ。バルセロナで撮影した写真集を見ていたら、あの本のあの一節を読みたくなった。十年ちょっと前に読んだときに、会社をつくろうと決心した。ちゃんとした会社を、と。
“1905年の2月、コロニア・グエルの工場でひとりの若い見習工が過って沸騰した染料の壷へ落ちた。火傷は体全体に及び、重体である。若い見習工の命を救えるのは健康な皮膚を移植することだけである。しかしだれが自分の皮膚をくれてやるものか、この当時のことである。切り取られた方が逆に命取りになるかもしれないし、宗教的問題も絡んでくる。ところがまっ先に皮膚提供を申し出たのは、外ならぬグエルの5人の子供のうちのふたりの息子であった。ほかに20人ほどの労働者がこれに続いて申し出て、若い見習工を救ったのであるが、これに対して時の法王ピオ10世、スペイン王アルフォンソ13世は最大の賛辞を送ったという。これはコロニア・グエルの雰囲気とその設立者グエルの気質をよく示した事件である。グエルはそのグエル公園内の家“ララードの家”で72歳の生涯を閉じるが、その死は息子クラウディオの死の悲しみに耐えかねてというものであったが、このクラウディオは若い見習工に皮膚を与えたひとりであり、それ以来病弱となっていたのであった。”
(『ガウディの生涯』丹下敏明著、彰国社、p84-85)
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