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モノ造り日記

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2001年6月1日(金) 最後まで追い詰めない人/友人Mの長電話


スリガラスに映る木陰の像の方にきみはピントを合わせるのか●

■最後まで追い詰めない人

 残念ながら仕事はうまく行かなかった。
 昨日、納品した原稿について説明するために、今日、四谷まで出向いた。原稿の内容に対するコメント、データの構成、進捗状況などを手短かに説明し、そして、仕事の続行はできない、と告げ、詫びた。
「えっ、何よそれえ。いまさら困るよ!」
 と、彼は少し言葉を荒げ気色ばんだ。しかし、それ以上の言葉は出てこなかった。しばし沈黙が走った。このままじゃいかん、と思い、辞めざるをえない理由を説明しようと、私は顔を上げた。
 すると、彼は顔を軽く横に振った。説明する必要はないよ、とその目は言っていた。この半年ほどの流れから、このような結果に落ち着かせるのが、お互いのためだと感じていた。こちらが意は決していることも彼は察知していた。業界人同志が持つ暗黙の了解とでも言うのだろうか。
 すぐに今後の善後策を打ち合わせた。三十分ほどで打ち合わせは終わった。出されたお茶に口もつけず、私は席を立った。すると、彼はこう言った。
「とにかく最後は笑って別れましょう」
 と、右手を差し出した。
「力になれず申し訳ありませんでした。後はお願いします」
 と、私は彼の手を握り締め、辞した。

■夕方、長い電話があった

 友人Mから電話があった。彼とはT社で知り合った。そう、もう二十年近く前だ。彼は絵心のある優秀なライターであり、山を愛する自然児だった。後輩の面倒見がすこぶる良く、将来を嘱望された存在だった。ただ一つ欠点をあげるとすれば、“極度に真面目な完璧主義者”だったことだろうか。
 知り合って五年ほどたった頃、彼は独立し会社を立ち上げた。当然のごとく、彼の会社には仕事が溢れた。経済的にも少し潤い、広いマンションを家族のために彼は購入した。家へ帰ることはほとんどできなかったが、妻と生まれたばかりの息子をこよなく愛した。
 しかし、そんな幸せな日々は長くは続かなかった。バブルの崩壊は、下請け会社を直撃した。主要なクライアントから、ある日突然、単価を三分の一にすると、一方的に通知された。口裏を合わせるようなクライアントの動きに、それまで築き上げてきた彼らとの信頼関係はいったい何だったのかと、彼はと惑った。そして、彼は困り果てた。仕事は終わったがスタッフへの支払いが十分にできない。
 彼は資金繰りに奔走した。しかし、銀行も手のひらを返したように冷たかった。マンションを売ったお金と預金をスタッフへの支払いにあてた。しかし、それだけでは追いつかなかった。スタッフに値引き交渉をせざるをえなかった。完璧主義の彼には、そんな状況が少しずつ受け入れられなくなっていた。そして、ある日、彼は切れた。
 いつの間にか酒に手を出すようになっていた。当然の成り行きで、仕事の精度は落ちた。彼を頼りにしていたスタッフは、次第について来れなくなり、クライアントも少しずつ去っていった。ある日、スタッフは彼にこう言った。
「会社から離れてください。後は自分たちでやっていきますから」
 それを聞いた彼は、しばらく何も言えなかった。そして、こう言った。
「済まない。僕のせいだ。悪かった。後は頼む」
 それからしばらくの間、彼は業界から姿を消した。このような人たちを私は随分見てきた。まだ精神病院に入ったきり出て来れないTたち。モノ造りに真摯であればあるほど、優秀であればあるほど壊れやすいのかもしれない。
 Mはなんとか復調し、友人I氏の紹介で大手出版社に就職し、先ごろ独立した。あの頃に受けた傷の後遺症は、残念ながら今も残っている。本来ならもっともっと仕事ができるのだが、臆病になる、という。今日は、渓流釣り三回目にして、初めて岩魚を釣り上げたぞ、と興奮気味にしゃべる声が元気で、嬉しかった。


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