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2001年12月5日(水) 「ハリー・ポッター」は欧米人向け?


ライティングテーブルでポジフィルムを見る。デジタルにない臭いがする。

■久しぶりに映画を観る

映画は一人で観るに限る。映画は最前列で椅子にそっくり返ってスクリーンを独り占めにして観るに限る。とはいえ、家人から誕生日であるという切り札を突きつけられ、「ハリー・ポッター」なんぞを同伴して鑑賞す。平日にも関わらず、第一水曜日は女性のみ割引(1800円→1000円)という理不尽な日とあって、やたらと混雑していた。

パッと観た感想は、「お金をかけた質の良い学芸会」という感じ。台詞も陳腐で何度かのけぞりそうになった。結末の締め方もアララという感じ。映画が終わり、最後のテロップが流れ始めると、まだ暗い劇場内をほとんどの客たちは出口へ向かっていた。同じようなファンタジーで原作に忠実に作られた「ネバーエンディング・ストーリー」のほうが物語として深みもあり想像力に満ち溢れていた気がする。期待していた分、点数も辛くなる。

なぜ、面白くなかったのか。チェスのルールとか寄宿舎生活の醍醐味など、日本人には馴染みの薄い場面が多く、盛り上がれない。説明がないと理解できない設定が多い。有名な場面を盛り込み過ぎて、次のエピソードにつながらない。あれ、どうして?という疑問がどんどん積み上げられるばかり。消化不良でガスがたまる。

この映画は原作を読んで内容を知っている人のほうが、面白く観れるのかもしれない。話をある程度知っていたり、イギリスやアメリカの映画館だったら、ここで盛り上がるんだろうな、という場面がいくつかあった。魔法使いが弱っちいのも少し不満だった。「犬夜叉」の一回分くらいの迫力があってもいいんじゃないかな。

この映画が不思議なところは、映画を観た後で原作を読みたくなったこと。多分、いくつかのエピソードはもっとファンタジックに書かれている気がする。

とはいえ、エンタテーメントとしては良くできた映画だろう。キーワードはゲーム。ゲームとは、あるルールに従って攻撃し、相手の攻撃に対して守備を固め、どちらかの点数が多い方を勝者とする遊びだ。訓練された勝負師たちが繰り広げるゲームは観るものを楽しませる。そして、その勝負は時の運。どちらに転ぶか分からない。だから面白い。映画の中にも面白いゲームがいくつか登場する。この映画そのものがゲームといってよい。しかし、残念なことに、ゲームの面白さがいまひとつ描ききれていない。

ゲームと言えば……

欧米人たちと話をしているうちに議論が白熱してきたとき、彼らからこんな言葉をきいたことが何度かある。

“Well, let's make it the game.”

じゃあ、ゲームでもやろうか、という意味ではなかった。お互いの言い分を変わりばんこに聞こうじゃないか、本気で冷静に議論しよう、という意味だ。どちらに説得力があるか、白黒、勝負を決めよう、という場合もある。ここで重要なことは、お互いが同時に攻撃しあうと収拾がつかなくなるので、相手が攻撃するときはこちらが守備に回り、相手の攻撃が終わったら、今度はこちらが攻撃に回る。それを何回か繰り返して議論を深めるという手法だ。つまり、ディスカッションしよう、という意味だ。

もっとゲーム感覚に議論を戦わせることも彼らは好んでやる。ディベートマッチだ。二人から五人がひとつのチームとなり、二つのチームが、あるテーマについて賛成か反対かを議論するマッチゲームだ。勝負はジャッジと呼ばれる審番員が決定する。面白いのは、判定理由が明確に示されねばならないことだ。さらに面白いのは、賛成側で発言するか、反対側で発言するかは、ゲームが始まってから決められることだろう。どちらに転んでも相手を打ち負かす議論の根拠や進め方を仕込んでおかねばならない。

要するにゲームなのだ。発言者の数や順番、発言する時間、順番に沿った発言の意図など、とにかくルールに従って議論を進め、そして決着をつける。その先が分からぬプロセス自体に面白みを感じるのである。

話は少し飛躍するが、アフガニスタンでの攻防をひとつのゲームとすると、欧米人たちはけっしてフェアではないと、根っこのところでは思っているはずだ。戦力が圧倒的に異なるどおしではゲームにならない。単なる侵略にすぎない。大義名分があるとはいえ、いじめっ子が逆上して暴れているようで情けない。

話題の映画が期待はずれで、少し言いがかり口調になってしまったようだ。

■今日は浪費三昧

渋谷で新しいライトテーブルを購入。36枚撮りのスリーブが一覧できる広いもの。\15,000也。最近のライトテーブルは熱を持たない優れものだ。夜は半年ぶりに骨董通りの寿司屋『くま川』へ。

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