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2001年12月9日(日) 骨董通りみたいな名前がほしい


■寝ダメはできる

朝はとても気持ちよく晴れていたが、今日はいったいどんな日よりだったんだろう? 疲れと睡眠不足を今日一日だけで一気に解決したかもしれない、というほど昏々と眠った。

一歩も外に出なかった。外の様子を何も知らないまま一日が暮れた。とはいえ、こんな一日の終わりかたは悪くない。何かに集中して堪能できる幸せ、とでも言うのだろうか。

たとえは少し下品だが、夜、女とホテルにしけこんでやりまくっているうちに、次の日も暗くなっていた、なんて若い頃の充実感に近いものがある。子供と一日中遊んでくたびれ果てたり、朝から映画をハシゴしてレイトショーまで観たあと、腰を伸ばしながら歩いて家まで帰るときも、同じような充実感にひたれる。気ままな生活ができる幸せはそう長くは続かないものだが、寝ダメだけは欠かしたくないものだ。

■名前が気になる

翻訳をしていて気が滅入るのは、カタカナ以外に置き換えようがない、と諦める瞬間だ。新しい概念を漢語や和語を使って表現しようと試みても、インタラクティブとか、ウェブデザインとか、ウェブ・ユーザビリティのように、英語を意識させた方がかえって分かりやすいと判断される場合もある。すると、諦めてカタカナにする。「パンくずリスト」という言葉のように、その難を逃れた場合もある。

カタカナが持つ固有の力を生かした表現は素晴らしいが、カタカナ用語の正確な意味を理解せず、振り回し、振り回されるのは悲しい。カタカナに限らず、言葉が持つ力はとにかく凄まじい。ある事象にどんな名前が付けられているか、とても興味深い。

また、寝ダメをする前に、以前から気になっていた通りの名称について書いておきたくなった。地図や写真がなくて、どこまでイメージできるものか、ちょっと試してみたいからだ。

■南青山で井の頭通りと言われても困るよ

墓地は昔から丘の上に作られる。青山墓地も例外ではない。だから、青山という土地は丘の上にある。丘をほぼ東西に走る青山通り。その南側を南青山、北側は北青山と呼ばれている。

渋谷から丘を登りきった辺りに、大きな三叉路がある。そこから右へ伸びる広い道は、骨董通りと呼ばれ、道の両側に小ジャレた専門店が並ぶ。十分ほど歩くと、広い三叉路に出る。そのまま直進すると、西麻布へ抜けるが、街並みはほとんど変わらないままだ。左に曲がると、趣の違った道になる。根津美術館を抜け、青山墓地に至るこの道には独特の雰囲気があり、ぜひ名前を付けてみたいと、長いこと思っていた。

この通りは、青山通りの南側をほぼ平行に走る。ある日、詳細な地図を見ていたら、驚いたことに「井の頭通り」という名称があてられていた。解せない。ピンとこない。井の頭通りと言えば、渋谷から杉並の住宅地へと入り込む「京王井の頭線」に沿って走る道、というイメージがあるからだ。

■名前を無理に付けてもナンセンスだが

そこで、別の名前を考えてみることにした。名前を考案するためには、その周辺の歴史や地形、雰囲気などを想い起こしてみる必要がある。とりあえず、「美術館通り」とでもして、話を進めてみよう。

すぐ近くを走る「骨董通り」という名前も、そもそも通り沿いで店を開いている骨董屋の店主が、言い出したものに過ぎないが、骨董通りという名称は最近ではかなり定着した感がある。

それには当然わけがある。根津美術館があったからだ。この美術館は、日本に古来から伝わる美術品が蒐集されている蔵の集まりである。館のいでたちも美術館というより、広い庭のある骨董品陳列館という感じだ。館内の庭園には数件の茶室が散在し、週末になると、茶会へと出席する和服に身を包んだ女性たちの姿をよく目にする。

館の正門はその昔、骨董通り沿いにあった。館を訪れる趣味人たちのために、次第に骨董屋が増えていったのもうなづける。。骨董通りの名付け親は、骨董屋『からくさ』店主、中島誠之助氏である。テレビ東京の人気番組「お宝鑑定団」ですっかりお馴染みの顔になった。

■美術館通りは『Papas』前から青山墓地まで

美術館通りの一方の起点は、骨董通り沿いにある『Papas』のビルだ。その昔はJRの事務所兼倉庫だったらしいが、現在では改装され、白亜の外装と船内を思わせる内装が、青山らしい小ジャレタ雰囲気を作り出している。一階に女性向け洋服屋とレストラン、パン屋が並び、二階には男服もある店舗となっている。

この店を背に根津美術館の現在の正門がある南青山四丁目交差点までは、距離にして二百メートルあまり。青山墓地までは交差点から五百メートルほどで着く。全長1キロもない短い通りだ。

■青山墓地の起点は十字路

墓地の交差点には名前がないが、ここがもう一方の起点だ。この起点は十字路で、交差点をまっすぐに進むと外苑東通りにすぐに突き当たる。通りを越える橋もある。橋はトンネル構造になっており、中を車が走り、外を人が歩く。歩くと見晴らしは良いが、雨が降ると傘がいる。橋を渡ると、その先は乃木坂駅。

起点である青山墓地の十字路では、車は右にも左にも曲がれない。交差点に向かって一方通行だからだ。もちろん人はどちらにも歩ける。右に曲がっても左に曲がっても、両側に墓地が広がる。

この通りは「霊園中央通り」と呼ばれている。細かな石が敷き詰められた石畳の道だ。墓地を左に抜けると青山通りに突き当たる。伊藤忠商事の本社ビルが目の前に見える。そこからは神宮外苑へ抜ける「銀杏並木通り」も近い。墓地を右に抜けて下っていくと、マンションや大使館がひしめく西麻布一丁目に入る。

■骨董通りの起点は三叉路

さて、骨董通りの起点の話に戻ろう。美術館通りの道幅は骨董通りより狭いはずだが、骨董通りから左折して美術館通りへ足を向けたとき、圧迫感を感じないのはなぜだろう。起点から美術館方面を眺めると、道は少し下り、わずかに右折しながら上っていく。緑も多い。やはり、肩の力が抜けてホッとする気がする。なぜだろう?

通りは行き交う人も少なく、エンジュという街路樹が整然と植えられており、緑を多く含む色彩が目に嬉しいのかもしれない。下って右に上り視界の右に走り去る坂のフォルムが郷愁をかきたてる何かを持っているのか。見晴らしがよく、開放的な雰囲気を感じるのかもしれない。

その開放感を知ってか知らずか、犬を散歩させる人たちは、この道から骨董通りへ抜けるルートでなく、骨董通りからこの通りへと入ってくるルートを選ぶことが多い。

■「仕立て屋通り」も悪くないが

人通りの多い骨董通り寄りには、お洒落な家具屋やブティック、ジャズ・スポットなどが、さすがに目白押しだ。有名人がお忍びで来る隠れ家のようなバーも点在している。縄文美術に傾倒した岡本太郎氏の住まいも裏手にある。現在は『岡本太郎記念館』として夫人が取り仕切り、喫茶部では夫人手作りのケーキを所望できる。

骨董通りから少し離れると、すぐ裏手にある高級マンション群は残るだろうが、道沿いに残っている○○省の寮や古いアパートには、ほとんど人が住んでいる気配はなく、取り壊される日は近い。このあたりはすでに建築ラッシュに入っている。外国資本の高級ブティックが入るビルが2棟、この春には完成する。地ならしが始められた敷地もある。この辺りの店は、一般人には少しお高いブランド店が多い。特注品や仕立て直しをお願いできる店、仕立て屋も数件ある。「美術館通り」というより、「仕立て屋通り」に近づいているのかもしれない。

誰かいい名前を付けるコツを知らないだろうか?

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