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「ガウディの遺産」
 世話人  川口忠信

情報デザイナー、写真家

最終更新日: 2006年8月20日

■「ガウディの遺産」には、建築家アントニ・ガウディ(1852-1926)が残した建築物を撮影した記録写真が掲載されている。少しばかり戯言(たわごと)が書かれてあるが、ご勘弁願いたい。■ガウディが活躍した時代は19世紀末から20世紀初頭。ちょうど百年前だ。舞台は地中海に面したスペイン、カタルーニャ地方。首都バルセロナを中心に30点ほど建築物が残されている。■瞬間を積み重ねる現実。その現実を超える存在として、物理的な創造物や歴史的な記録だけでは役不足。人の心を響かせてやまない思想が現実を超越する。■ガウディの設計思想は、建築家だけでなく世界中の人たちに現在でも影響を与え続けている。■魅力の実体に迫る糸口を探す営みを持続することで、現在のモノ造りに通じる新しい何かが見つかると信じている。“ゆらぎ”いう言葉が秘密の扉を開ける言葉かもしれない。■情報デザインという建築とは異なった分野にいても相通じるものを感じる。今日も「ものづくりする日々(access_9)」が続く。

■ガウディ建築には、心揺さぶる造形と心地よい機能性が、確かにバランスよく兼ね備わっている。モノ造りに関わる者の一人として、私もガウディ建築から少なからずモノ造りへの意欲をかき立てられてきた。■その反面、ガウディ建築を過剰に評価する声も、ガウディの言葉こそ崇高で絶対的な判断基準とみなす声も、ガウディを人集め人形にしてバブルに浮かれるバルセロナの観光化にも辟易している。■ここでは、ガウディが残してくれた素晴らしい遺産だけでなく、愚かにも残ってしまった負の遺産も同じように見つめることで、ガウディ建築の本質にに迫り、モノ造りへの糧としたいと思っている。■そのようなわけで、このサイトの名称を「ガウディ・ファン倶楽部」から「ガウディの遺産」に変更した。

■ガウディとの出会いは、珈琲店「カフェ・ドゥ・ガウディ」のマスターの仕事振りに感動した1989年の夏だった。彼の話から建築家アントニオ・ガウディを知る。ガウディや彼の理解者で依頼主だったグエル伯爵やその息子たちの生き様に感動する。■1990年9月、編集プロダクション(株)グエルを設立。若気の至りか、グエル伯爵の名前を無謀にも拝借してしまった。バルセロナで名刺を見せると、たいていギョットとした顔をされて困ることしばしばである。

■1997年11月、バルセロナを初めて訪問。一週間ほど滞在。
■1999年10月、『アントニオ・ガウディ私設応援団』のウェブページを開設。後に『ガウディ・ファン倶楽部』と改名。
■2002年10月、バルセロナ二度目の訪問。ガウディ生誕150年記念の年だった。10日ほど滞在。田中裕也氏と出会うも、観光地化によるガウディ建築の変容に少なからず失望。5年前と比べると、世俗化が一気に進行していた。
■2002年12月、ガウディ建築のカレンダー(2003年版)を制作。友人や知人たちへ配布する。発行部数は1000部だった。以降、カレンダーは毎年、制作している。発行部数は徐々に増加し、2006年版は5000部印刷できた。
■2003年、田中氏が主催する「ガウディクラブ文化協会」に入会し、支援を開始。カレンダーを無償で提供したり、テレビの取材や雑誌記事の執筆を紹介したりした。
■2004年、 「ガウディクラブ文化協会」を脱会するも、支援は現在も続けている。
■2005年2月、バルセロナ三度目の訪問。田中氏と一週間ほど動き回った日々は貴重だった。
■2006年、ガウディを情報デザイン的に解釈するプロジェクトを開始した。


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